環境・社会を変える切り札
機運高まる水素エネルギー

大平 英二大平 英二

NEDO
次世代電池・水素部 燃料電池・水素グループ 統括研究員

大平 英二

カーボンニュートラル(炭素中立)を達成するには、エネルギーのあり方を抜本的に見直さなければならない。その方法論の一つとして水素が注目を集めている。国内だけでなく、海外の主要国でも技術開発のほか、モビリティーや産業分野で実証実験が進むなど、機運が高まっている。

トヨタ自動車が販売を開始した燃料電池自動車「MIRAI」。高い環境性能を維持しつつ、スポーティーなスタイルや走りも追求した(写真提供:トヨタ自動車)

今、水素エネルギーが注目を集めている。「利用時にCO2(二酸化炭素)を排出しない」ことに加え、「再生可能エネルギーの利用やCO2回収・貯蔵・利用技術との組み合わせ」により、大幅な低炭素化を実現するポテンシャルを秘めている。2020年10月、菅義偉首相の就任後初の所信表明演説でも、CO2など温暖化ガスの排出量を2050年までに「実質ゼロ」にするとの政府目標を掲げた。水素は次世代クリーンエネルギーの切り札だけに、これまで以上に注目が集まり、関連ビジネスの技術開発や商機の拡大につながることは確実だ。
世界的にも水素エネルギーにまつわる話題は豊富だ。日本やオーストラリア、ドイツ、フランス、欧州連合(EU)、ポルトガル、チリ、ロシアなど多くの国・地域が水素戦略ロードマップを発表しているほか、英国、ポーランド、南アフリカ共和国も検討しているという。
世界の動きの契機となったのは、「2020年以降の温暖化ガス削減・抑制目標」を定めた2015年12月のパリ協定だ。以降、CO2排出量の削減、エネルギーの脱炭素化のためにドイツやフランスなどが水素戦略を推進し、水素燃料電池列車やバスが実証実験として導入されている。また、スウェーデンでも水素を利用した製鉄のパイロットプラントが既に稼働するなど、欧州全体で取り組みが活発化・具現化している。
国家間の連携も盛んだ。ポルトガルとオランダが水素の輸出入に関する意思確認文書を締結したほか、ドイツとオーストラリアも水素の輸出入に向けた調査の実施に合意。EUも多くの電解水素プロジェクトを計画している。
日本も例外ではない。トヨタ自動車は2020年12月、FCV(燃料電池自動車)の「MIRAI」をフルモデルチェンジし、販売を開始した。先代から燃料電池システムを一新、加えて3つの水素タンクを搭載して全体の容積を増やしたことで、水素ステーションで約3分充塡するだけで約850kmもの走行を可能にする。何よりもCO2の排出はゼロ。さらには発電のために吸入した空気を清浄するため、走れば走るほど空気をキレイにするというマイナスエミッションを達成しているほか、FCVならではの災害時の給電機能も装備している。
一方、東京都交通局ではトヨタ自動車が開発・製造した燃料電池バスを2017年から導入しており、現在約70台が複数の路線で運行中だ。バスにも対応できる水素ステーションも複数箇所で稼働している。家庭用燃料電池エネファームも含め、水素エネルギーの利活用が私たちの身近でも始まっている。

福島県浪江町で稼働した「FH2R」では、再生可能エネルギーの電力を利用して水素を製造する。製造した水素は、主に圧縮水素トレーラーやカードルを使って輸送し、福島県内の需要先などへ供給する予定(写真・イラスト提供:NEDO)

必要なのは長期的な視点と
企業や国の協調による課題解決

水素エネルギー社会の実現は日本の国家戦略の一つ。2014年のエネルギー基本計画に水素の利活用が盛り込まれたのをきっかけに、技術開発領域が大きく広がった。モビリティーだけでなく、さまざまな産業を創出する価値を秘めており、日本の取り組みは世界からも注目されている。実際、2018年には世界で初めて「水素閣僚会議」が日本で開催されたが、2019年、2020年と、国・地域・機関からの参加者は急速に増えている。
2020年3月、福島県浪江町に開所・稼働したのが、世界最大級となる10MWの水素製造装置を備えた研究拠点「FH2R」である。
この施設は、再生可能エネルギーなどの電力で水の電気分解を行うことにより、毎時最大2000Nm3の水素を製造する能力を誇る。再生可能エネルギーが大量に普及する将来を見据え、水素製造装置の消費電力を変動させることによって電力系統に対する需給調整を行うなど、再生可能エネルギーの電力を最大限利用する新たなエネルギーシステムであるPower to Gas技術の確立をめざしている。

プロジェクトを進める新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の次世代電池・水素部 燃料電池・水素グループ 統括研究員の大平英二氏はこう語る。「カーボンニュートラル実現のためには電力セクターだけでなく、輸送や産業といったさまざまなセクターの脱炭素化を進める必要があります。再生可能エネルギーからの電力を水素に転換することにより、低炭素の熱エネルギーとしても利用することが可能になります。調整力も含め、水素は再エネが持つポテンシャルを最大化することができるんです」。「FH2R」で製造された水素は、研究の一環として定置型燃料電池向けの発電用途、燃料電池車などのモビリティー用途などに提供される予定だ。
もちろん、水素エネルギー社会の実現に向けては、乗り越えなければならない課題やハードルも少なくない。
課題として真っ先に挙げられるのがコストだ。「現段階では化石燃料よりコストが高いということが強調されがちですが、2050年にカーボンニュートラルを達成するため、将来は化石燃料利用には制約が出てくるものと考えられます。経済活動への影響を最小化するため、製造時の低コスト化だけでなく、利用時の効率の向上などトータルで取り組んでいく必要があります」と大平氏は語る。
低炭素な社会の実現には、地域の特性やニーズに応じた分散型のエネルギーシステムの構築も必要だという。「企業や人が集中している都市部と分散している地方では事情が異なります。地域の有する資源を活用し、生活や産業活動に適切なエネルギーをどう提供していくか、従来のエネルギーインフラとも組み合わせながらどうデザインしていくか。その設計図を描く力も必要です」(大平氏)。
水素・燃料電池に関する取り組みは、日本では主として大企業が一つの分野として進めているが、海外では専業メーカーやベンチャー企業も数多く参入し、存在感を見せてきている。「今後、水素エネルギー関連事業に参入・投資するプレーヤーは増えてきます。お金だけでなく人のリソースも拡大するでしょう。ただ、当然ながら短期ではなく長期的な視点が必要になります。ビジネスマーケットも、国内だけでなくグローバルで考える必要があります。その際、海外企業との協業や第三国でのビジネス展開も考えられるでしょう」(同)。

写真は川崎重工業の液化水素運搬船。海外で安価に製造した水素は、マイナス253度の極低温にすることで気体から液体になる。体積も800分の1になり、大量輸送が可能に(写真提供:HySTRA)

水素の利活用が当たり前のようになるのは2040〜50年になるという。「その頃には技術者や研究者もたくさん必要になります。そのために、今の中高生にアプローチするような啓発活動も行っています」と大平氏は話す。かつて石油から天然ガスへの転換には20年以上を要した。水素への転換への道のりは決して平たんではないが、カーボンニュートラル実現には長い目が不可欠だ。
今は企業や国が競争するのではなく、協調して知恵を出し合い、課題をクリアしながら素地をつくっていく段階といえる。NEDOは技術開発のほか、プロジェクトなど人が集う“場づくり”にも貢献していく考えだ。課題はあるものの、水素社会は明るい未来をもたらしてくれる。機運高まる水素の利活用に私たちが関心を寄せることも、実現化に近づく一歩になる。

NEDO

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